
色々と便利になるにつれ失って行くモノ
それは意外なくらい身近なモノなのではないだろうか
携帯電話なんか無い時代の"待ち合わせ"は
例え矢が降ろうが蛙が降ろうが行かない訳には行かない
どんなに小さな約束でも
少なからず相手に対して「走れメロス的」な感情があった
自分だけかも知れないけれど
今は自分主体で"ごめん、ちょっと遅れる"とか微調整してしまう感がある
デジタルが普及してから
色々な事柄が徐々に"他者"から"自己"へ変動している気がする
"調和"で生きてきた日本人が皆"自分の都合"を追及し出せば当然輪は崩れ
本来味方なのに"てめぇの都合"で考え出すと敵に分類していたり・・・
もはやこの国では隣人に醤油を借りれる環境の人間の方が少ないんじゃなだろうか
こうなったら各家庭
表札の横に『しょうゆ(調味料全般)貸します(但し隣人に限る)』と張り紙をする事を国で義務化するのはどうだろう
"作りすぎたから"と煮物かなんかと一緒に少し減ったキッコーマンが帰って来る・・・
みたいなのが東京に住んでいるとファンタジーに思えてしまう
現在、そんな環境にある方はその状況を死守して頂きたいモノです
孤立主義の成れの果てが
唯一無二の存在である
親が子を
子が親を殺めるところまで行ってしまってるのではないだろうか
"ただ抱き締める"
家族における何よりの会話
それが明らかに欠落している
最近まで扶養家族だった世間知らずの自分にも
そんな事を感じさせるこの頃の世知辛いNews
ジョニー・ディップが何かのインタビューで言っていた
"子供を授かってから価値観が変わった、今は一呼吸一呼吸にすら感謝してる"と
とりあえず自分の半径数何メートルにある
"当たり前"への感謝から初めてみます


