
“斎藤工の Private Journey”
と名乗るCSのドキュメンタリー番組にて
近隣アジア諸国等を放浪をさせて貰っている
灼熱のシルクロード07'(敦惶等)に続き
3度目のタイランド08'(チェンマイ)では仏教への体験入門を経験した
(仏門に関しては手塚治の[ブッダ]くらいの知識しか無かった)
早朝の御祈り・托鉢・寺院の掃除等を経て
ぉ坊さん(ジョン・タトゥーロ似)の説教を受けた
仏教の教えを説いて貰った後
質疑応答の時間が設けられたので
この機会を生かさねばと
自分なりの抜粋した極論をタトゥーロ(似)に突き付けてみた
(タクゥーミ) "貴方方仏教徒にとって、[死]とは何ですか?"
(タトゥーロ) "当たり前の事"
とSimpleなカッコいい答えが返って来た
続けて
(タクゥーミ) "最近日本でも幼い子供が突然命を奪われたりする悲惨な事件が多発してるんですが、そんな短過ぎる一生における死も同じ解釈なんでしょうか?"
(タトゥーロ) "そうです、その子は前世で誰かを殺めていたりしている為亡くなったんでしょう"
(タクゥーミ) "・・・"
(タトゥーロ) "残酷かも知れませんが、魂はそうやって繋がって廻っているのです"
タトゥーロは不思議な説得力があり
その時は何だか納得した
だけど帰国後もずっと"何か"が引っ掛かっていた
もし自分がその子供達の遺族側だったら
タトゥーロ論(仏門)に対して納得するだろうか?
言っても自分は第三者の立場だから
あの時納得してしまったんではないだろうか?
と
もし自分の家族や大切な人達が理不尽に傷付けられた時
道徳心や歴史ある教えに乗っ取ったり(仏教徒では無いが)と冷静に考え行動出来る自信など更々ない
一番深く痛みを受ける立場から見たら
"理性"等と言うリミッターなんかは簡単に外れるんじゃないだろうか
でもそれは結局"報復心"に繋がり
タトゥーロの言っていた様な命を奪い合うメビウスの輪的なサイクルに繋がってしまう気もする‥
哀しみを産んだのが憎しみ
その憎しみの根元はまた哀しみ
その悪循環な堂々巡りを
我々は"歴史的なシステム"とし受け入れるしかないのだろうか
RIZEの「heiwa」って曲が頭の中で流れた

