
ロシアでは 古典や名作が
頻繁に上演・上映されているそうな
古き良き作品こそが
未来の光になる事を知っているのかも
黒澤明特集も未だに満席になるとの事
「今日は雨が降ってるから
そんな気持ちで奏でる」
両手複雑骨折からの復活
努力で奇跡を起こしたMIKE STERN
featuring MAKOTO OZONE, TOM KENNEDY & SIMON PHILLIPS
夢の様なLIVE空間
in Blue Note Tokyo
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ちょっと待ってくれ
面白過ぎる
やい 映画関係者達よ
邦画の現状・実状を
やいのやいのと嘆く前に
この映画を観るべし
『カメラを止めるな!』の"角度"は
それら全ての答え(打開策)では無いだろうか
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ノオミ・ラパス七変幻 おそ◯くんもびっくり 七つ子姉妹の究極の演じ分け
食糧難に対する「児童分配法」
遠くない未来の物語かも知れない
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昔ある知識豊富な印象の芸人さんが 何故そんな物知りなのか?と聞かれ 物知りでは全く無いが"知ってる事だけ"を話している と答えていて合点がいった覚えがある
必要養分のみの抽出 これは映画作りにもそのまま転換出来る法則である あれもこれもと足して行くのでは無く むしろ背伸びせずとも 既にそこに在るものだけを淘汰させながら切り取って行く
この『LAST LOVE LETTER』は
不要なカットがほぼ無い(58分)
必要最小限による独特の世界観が強みになっている
あれもこれもでは無く
"限って行く"事で作品の強度が増して行く
例えば出演者は表記の通り三名のみ
エキストラやゲリラ撮影による映り込みの人間を背景としていないからこそ生まれる虚無的な空間になっていたり
その意味も成立させている
終始引き算の工夫が効いているのだ
他の映画がこうだからとか
映画の基本がこうだからとか
何気なく足しているものが映画自体を安くしてしまっている作品は幾らでもある
映画に基本なんて本当にあるのだろうか?
映画=90〜120分の基本尺も含めて
型に嵌めるのでは無く
もっと自由になれるのが映画の良さでは無いのか
既存の鬼才監督の作品を薄めた様な新人監督の邦画に出会う度に色々思う事はある(何様だ)が
そんな背伸びせずに
脚本(骨組み)とバジェットと目の前に集まった座組みの個性を見つめ
打開策を好奇心を忘れずに練って行けば
少なからず〇〇風ではなく
オリジナリティのある作品は生まれるのではないだろうか
偉そうながらこの作品から そんな事を感じた
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